アート談義vol.1『制作のモチベーション』
普段の私の仕事は、アートと障害福祉をつなげる仕事。そんな職場には必然と自身も制作活動をしているという人が多く集まります。それぞれが違う価値観を持ち、
・今も制作を続けており、作品を発表し続けている人
・学生の時は専門だったが、今は離れており時折趣味として楽しむ人
など様々です。
先日、そんな職場のメンバー6人で食事に行きました。
みんな専門分野が異なり、イラスト系1人、デザイン系1人、美術系2人、書道系1人、音楽系1人といった集まりでした。
他者からの評価がなくても制作をする?
その中で「自分の中で何を価値観としてアートに向き合っているか」という話題で盛り上がりました。
話の発端は1人のメンバーの「制作をする人には、大きく分けて2つのタイプがいるよね」という発言からスタートしました。
その人が言うには以下のような2つの目的で制作をする人に分かれるのではとのこと。
A 描くこと自体が目的の人: 誰に見られなくても、ただ描く行為が好きで、一人でも描き続けられる。
B 他者からの評価が目的の人: 誰かに褒められたい、技術を認めてほしいという、他者の存在があってこそ制作のモチベーションが湧く。
普段、私はアートのコミュニケーションや自己表現のツールとしての面に目が行きがちなのでこの区分は面白いなと関心を持ちました。
仕事柄、特に子供や障害福祉に触れる経験が多いと自然と「この子は誰からの評価も求めず、毎日毎日誰に見せるためでもなく作品をつくっている」という人もいるわけです。
中になむしろ「人には絶対見られたくない!」という人もいます。
幼いうちは他者からの評価を気にせず絵を描けるが、ある年齢からは外からの評価が気になり、他の人より上手であること、褒められることがモチベーションに変わっていく…そんな経験を少なからずしてきた私たちは、そうでない彼らが何をモチベーションに制作をしているのか、逆に今制作をしている人は何をモチベーションに制作をしているのかという話でお互いの価値観についての話をしました。
制作モチベーション【メンバーの場合】
「制作をする人は何をモチベーションに制作をしているのか」という話について、その場にいたメンバーの意見はこんな感じでした。
・描くのは楽しいけれど、やっぱり評価されたら嬉しい
・評価されたい承認欲求が強くなっちゃったから、今は趣味で留めるようにしている
・上達はしたいけど、人前で見せたくはない
多くは「描くのは楽しいけれど、やっぱり評価されたら嬉しい」という意見でした。
制作モチベーション【私の場合】
私は食事の場で自分のモチベーションについて言及はしなかったのですが、こういう『自分を動かす動機』のようなものは考えるのが楽しいので、少し言語化を試みてみました。
私は食事に行ったメンバーの中で恐らく「1番作品を発表している人」なので、評価に晒される環境に自分の意思でいるタイプの人です。
なので私も【 B 他者からの評価が目的の人】なのですが、自分の中で言語化するなら「褒められて嬉しいから次も描く」ではなく「もっとレベルアップをしていく上で評価をされたことが道半ばで止まらないためのエネルギーになる」といった感じの言い方がしっくりくるなと思いました。
「評価されることを目的(ゴール)に制作をしているわけではない、しかし評価があることが頑張るためのモチベーションにはなっている」というのが私の考えです。
【 A 描くこと自体が目的の人】ではない理由として、私は自分のことを「実は私は絵を描く行為が何よりも優先できるほど好きというわけではないのではないか」と思っています。
疲れていて描けないことも、描かないとなぁと義務感で描くことも、他のもっと楽しいことを優先しちゃうことも頻繁で、「今はこんな表現の絵を描きたいけど、これは案を固めたり、色々と事前準備がいるぞ…」と思って億劫になりがちです。
私の絵に対する思いは「やりたい表現や出来なかったことができるようになる、そんな成長が嬉しい。そのための勉強も楽しい。知らないことも沢山あって、でも少し得意だから折れずに向かっていける…そんな探究心や自己肯定感を満たせる「ちょうど良く出会ったもの」が、たまたま絵だった」という感じが近い気がします。これは自分の中で言語化できてすっきりしました。
もし無人島にいたら絵を描くか
「人からの評価がなくても絵を描くか」の談義を進める中で、こんな議題が上がりました。
「もし無人島に画材だけがあったら、あなたは絵を描きますか?」
【 A 描くこと自体が目的の人】 はYES、【 B 他者からの評価が目的の人】はNOを選ぶのでは?という仮設だったのですが、6人全員が自認Bだったはずなのに、ここではYES(描く)3人、NO(描かない)が3人と、見事に意見が半々に割れました。
私が選んだ答えは「NO(描かない)」でした。
私はそのまま無人島で人生の終わりを迎えるのが嫌なので、その状況になったらまずは生き延びること、そしてその場から脱出する手段を模索することが先決だと思います。絵は私にとって生命活動の維持より優先されるものではないので、きっと画材には目もくれず生きて帰れる方法を最優先で探します。
その後、もし心に余裕があっても絵は描かずに無人島を探検したり、釣りや家作りに挑戦したりしている気がします。絵を描こうと思うのは無人島での死を悟った瞬間に、感情を発散するために、或いは遺作を残すつもりで描く時か、時間を持て余した時だけかもしれません。
私が筆を握る理由
自分にとっての制作の立ち位置というのは、考えさせられる非常に面白い話題でした。
描きたいタイプではない私にとっての制作イメージは、ゲームで自キャラを最強に育てたい感覚に似ています。
* 誰にも真似できない技術を身につけ、オリジナルになりたい。
* 今の自分を超えて、どんどん強くなりたい。
* 分からなかったことが分かるようになる、できなかったことができるようになる、そんなレベルアップをしたい
そんな「満たされる感覚」こそが、私が絵を描く理由です。展覧会など評価される環境は、自分の現時点の立ち位置を教えてくれる指標になります。
評価をされるために書いている と言うと少し ニュアンスがいますが、誰かに作品を褒められたり 評価をされることは 評価をされなかった 前の自分より成長をしているということであり、昔の自分に勝った証明になります。 自分に成長がある事実が次のやる気につながり 熱意があるから絵を描くことが好きなのです。
「価値のない絵はゴミである」という言葉の真意
帰りの車中、私は自分の恩師が語っていた言葉を思い出していました。
「価値のついていない絵はゴミなんだよ」
厳しい言葉ですが、今ならその真意が分かります。
私の家の倉庫にも、かつて描いた「ゴミ」になってしまった絵が何十枚と眠っています。今の自分が成長したからこそ、昔の作品を物足りなく感じることもあるでしょう。
しかし、その「ゴミ」にしてしまった作品たちは、次へ高く跳ぶためのバネでもあります。
それらを無駄にしないためには、自分と、周囲と、そして社会と勝負して、勝ち続けなければなりません。
結論:私にとって、絵を描く目的は「勝負に勝つこと」です。
* 表現したかったことが描けたら、自分との勝負に勝ち。
* 作品が評価され、誰かの手に渡ったら、過去の自分との勝負に勝ち。
「好き」という気持ちだけで終わらせられない。
戦い、挑み続けること。それが、私がアートと共に生きていく覚悟です。
あとがき:実は私もAタイプ?
レストランでの議論中、理性では「無人島で絵なんて描かない」と考えていた私ですが、他の人の話を聴きながら、私は手元で割り箸の袋で作っていました。
いつも紙製の割り箸の袋で簡易の箸置きを作るのですが、その日はクリエイティブな議論に触発されて無性に何かを作りたくなったような気もします。簡単に作れるので再現性もあって機能性も十分…ひとりで「最強の箸置きができた!」と内心テンションが上がっていました。
もしかしたら、理屈抜きで「何かを作らずにはいられない」本能が、どこかに眠っているのかもしれません。




